一定の方向に崩れる身体
疲れた時には肩を落としながら胸を縮めるのが普通です。椅子に座った時に足を広げて腰を後方にした方が楽だと感じるのも同様です。これは、体力が低下すると特定の方向に変位することを示しています。つまり、疲れの方向性は一方通行になるということです。逆に言えば、その反対方向に身体を調整することで、元気を取り戻せると言うことです。
治本法
一定方向に崩れるというのは、鍼灸における治本法の考え方と同じです。木火土金水の方向に基本的に悪くなる。
治本法は、そんな法則に則っているので簡単な方法であり、局所治療は、とても複雑です。局所は、治本の基本原則を崩さないで、異常部分に影響を与える方法だからこそ、その仕組みは難しく全体との整合性がとりにくいのです。
痛いところを刺激するのが局所法だと勘違いしている人は多いですが大きな勘違いであり、逆に全体には悪影響になっていることが殆どです。
治本法のことをわかっていないと局所法は成立しないので、治本法を最初に理解する必要があるということです。身体の各部位にはそれぞれ力の配分があり、最も強い異常が、どこに生じているかを観察する能力が必要です。
股関節、腰、腕、手首、指先など、一つの症状は、様々な部位が原因となりえます。異常部位は症状とは無関係に起こり、それを取捨選択することが必要です。症状しかみていない術者や頭でしか考えていない術者では、これを見つけることができません。つまり症状を基準にしてはいけないということです。
力の配分を基準として、どの部位が全体に強く影響を与えているのかを感覚(触診等)でわかってこそ役立つ情報です。知識と感覚は、こういう融合の仕方をします。
「右手を上げて、左手を上げて…」と指示すると、人は簡単に手を上げてくれます。しかし、その動きは本当にスムーズで自然でしょうか?
多くの人は、このことについて疑問に思わないかもしれませんが、興味深い実験があります。実際に手を動かさずに、ただ手を上げる意識だけをするのです。頭の中でイメージするだけです。
すると、右手と左手を上げようとした時に、意識のしやすさに差を感じます。不思議に思うかもしれませんが、確かに差がでます。これは、「気」が肩、肘、手先まで滞りなく流れていないことを示しています。意識しやすい側は実際に動かしやすく、「気」が流れている状態です。逆に意識しにくい側は動かしにくいのです。
つまり、これが「気」の流れが滞っている状態です。
東洋医学では、「気が流れれば水も流れ、血も流れる」と言います。言い換えれば、「気」が滞ると「水」や「血」の流れも悪くなるということです。
「水」や「血」が流れるとは実際の運動が起こるということです。思いがなければ、筋肉は収縮せず動きません。
この意識の実験は、まさに「気」の流れを反映していると考えられます。「動かさない運動」をすることで、この「気」の流れを直接的に感じることができるのです。
(注意 動かさない運動という言葉も発想も私のオリジナルです)
動かさない運動は気を理解するために絶対に必要な動きです。意識のみ動かす運動です。
この感覚を利用して、小さく、綺麗に、ゆっくりと体を動かしてみると、初動の動きを観察することができます。「気」が流れている場所と滞っている場所の違いが明確になります。
これが「気」を理解する第一歩であり、重要なコツなのです。
真っ直ぐするという脳の記憶
静止時のスタートの位置が狂っているので、動く時には、初動から軸がブレて足首や足底に負荷がかかってしまいます。左X脚の人の場合、歩行時には、左足を外側に振り回して歩くことが顕著になります。そうしないと歩けないのですが、それが真っ直ぐだと記憶しているのです。軸がブレていることをわかるためには、初動の観察が必要です。
動き始めに注目すると、あきらかに真っ直ぐ前に足を出すことができません。初動は、無意識で、意識を通さず脳から直接信号が伝えられます。
真っ直ぐを真っ直ぐだと脳は認識できていないから起こる現象です。ただし、真っ直ぐが良いと言っている訳ではありません。真っ直ぐを真っ直ぐと脳が認識しているかどうかの問題です。この違いは大きく、真っ直ぐの記憶が物理的な真っ直ぐと一致していないことで起こる動作の異常ということです。動的な話になると一気に難しくなるように感じられるかもわかりませんが、静から動に移動する瞬間が初動における無意識の使い方なのです。それに意識が気づくことが大切です。人間が意識できる行動は本当に限られています。
この異常は関節のみを詳しく検査しても姿勢分析をやっても絶対に気づけないところです。初動と関節の遊びを脳からの信号として全体的に観察してこそわかる異常です。それを解消する、つまり治療するには無意識の行動の認知が必要です。これは大脳基底核の作用とも一致してきます。
関節の異常は脳の記憶異常
関節の異常を関節の問題と捉える人が殆どですが、その関節の位置を作ったのは脳からの無意識の信号です。元々はちょっとした怪我をかばう姿勢をとったことが原因のこともあります。僅かな脳のエラーから起こるので、見過ごさないように観察する必要があります。
そして、この無意識の記憶を変えない限り症状は改善されません。つまり、これらの問題は、関節自体の問題ではなく、関節の位置を記憶した脳のエラーにあるということです。あくまでも無意識の記憶に焦点をあてているのであって、関節や姿勢の形に焦点を当てている訳ではありません。関節位置や姿勢は、単なる結果なので、それに注目しているのではありません。実は、これらの事実が「気」の問題とつながっていくのです。
形は記憶の結果
足の位置が外側にあると、膝が曲がった状態になり重心が僅かに下がり、膝には外旋や外転が起こり、上半身は前傾姿勢になることで四つ足姿勢に近づきます。人間は、最初から二足歩行として進化したとされていますが、不完全な二足歩行の時代があったのだと思います。その記憶が、脳のどこかに残っていて、このような形になるのかもわかりません。確かに地面に身体を近づけた方がバランス的には安定します。また、木に登っていた時代を思い出すのか、足腰が弱ると上半身が優位に働く傾向があります。
二足歩行と半二足歩行(猿等)では全く違う使い方をするのです。二足歩行の結果、脳が発達したと言えるのですから半二足歩行は、脳の弱体化と言えなくもないのです。