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目標設定の難しさ


治療において何を目標にするのか?という疑問は、単純なようでいて最も難しい問題です。多くの人は問診で得られる症状を目標に設定しているはずです。しかし、臨床をおこなっていると、大人でも自分の症状を明確に説明できない人が多いことに気づきます。子供や高齢者、聴覚障害のある方であればなおさらです。

このことから問診は思っているほど正確ではないと感じます。


なぜこのようなことが起こるのかと言えば、患者さん自身が自分の状態を正しく評価できていないことが多いからです。しかし、よく考えてみればわかるはずですが自分自身のことは分かっているようで分からないものです。

問診はあくまで参考程度にとどめ、治療家自身が独自の視点を持つことが重要です。問診に頼らず、客観的な情報に基づいて診断する必要がありますが、鍼灸で言う客観的な情報とは感覚を排除しない情報です。

脉診や腹診は感覚を通して得られる情報ですが、これらを扱うにはコツがいります。


鍼灸における客観的評価


鍼灸では脈診や腹診が重視されますが、習得は容易ではありません。脈診は、物理的な脈拍ではなく、全身状態を反映するエネルギーの流れを読み取る方法です。そして脉診は、術者の思い(何を視点にしているか)によって大きく変化します。この点を理解せずに学んでも、徒労に終わるだけです。

そして、観察者によって評価が違うのが当たり前で、同じ結果にはなりません。なぜなら、経絡やツボは目に見えないため、その真偽を評価することはできないからです。エネルギーの流れを読むことが前提である以上、個人差があるのは当たり前だと考えていなければ、上達することは難しいでしょう。


また、脉診による診断はしたけれど、その診断に自信が持てないという人も多くみられます。教えてくれる人と同じ結果にならないと、更に自信がもてなくなったりします。同じになる必要はないし、同じ結果になったから正しい結果を導き出せるとも限りません。


この問題の根底には、西洋医学的な視点(古典物理的発想)でしか物事を考えられない教育にも問題があるのではないかと思っています。

そういう人には受け入れられないかもわかりませんが、結果が違って当たり前という視点にたたないと脉診は絶対にうまくなりません。脉診の結果は確率に委ねられるので、それを確定していく総合的な判断が必要です。

主観的にみて妥当性のある結果を導き出し、それを分析してこそ評価があるのです。そのためには多方向からの評価が必要になってきます。





関節観察の新たな視点


常に現象をありのままに観察してきた結果、関節に関する一般常識とは異なる視点を持つに至りました。特に、関節障害を扱う理学療法士、接骨院、トレーナーの方々にとっては、このような発想は新鮮かもしれません。

例えば、指先のDIP、PIP、MP関節は単軸関節ですが、これらの動きには一定の遊びがあります。つまり単軸関節だからと言って機械のようにまっすぐ曲がったり伸びたりしているわけではありません。この事実を知らないと関節障害を克服できません。


動画





示指から小指のDIP関節は屈曲時に外旋しやすく、母指のIP関節は内旋しやすいという特徴があります。これが行き過ぎるとリウマチの手である尺側変位がMP関節に起こります。MP関節は内転しているのではありません。外旋しているのです。それを知らずに単純に外転させても意味がありません。外反母趾も全く同じ構造です。

指の僅かな変化がオペラグラスのような形になるのです。ということは屈曲時に外旋する方向に捻る意識が必要になります。捻ると言っても、関節の遊びの動きなので見た目に動いている感じはありません。異常な関節であるなら尚更です。

内旋する意識(気)だけを通すようにします。すると「気」が流れます。それを何度も繰り返します。

硬くなった関節を無理やり元に戻そうとしても、錆びたネジに大きな力を加えるのと同じで破壊してしまいます。何度も気を通して動かそうとだけします。つまり、動かさない運動をすると動くようになるのです。


人間の関節は動きやすい方向と動きにくい方向があります。放っておくと動かしやすい方に変位してしまいます。それは手首も肘も肩も同じです。疲れた時は坐位で背骨は屈曲位にしてしまうのが普通ですが、これは屈曲位の方向に力がかかりやすいことを意味しています。


同時に曲げる


動画のように手の指を同時にゆっくり綺麗に曲げようとする実験をやってみると初動の意味がよく分かります。


手のひらを広げた状態からMP関節、PIP関節、DIP関節と順番にゆっくり曲げていきます。もちろん母指のMP関節、IP関節も同時に動かそうとすると、同時には動かせないことに気付きます。

これは、頭で思ったことを末端に正確に伝えられないということです。しかし、スピードをあげると見かけ上は同時にできているように見えます。見かけ上の動きと実際は全く違うということです。

ゆっくり綺麗に動かさなければ、動きの本質を知ることはできません。

これが「ゆっくり綺麗に小さく動かす」という意味です。


一般的なリハビリは、早く強く動かすことを求めたりします。それはスポーツでも同じです。スピードが速い方が良く、力強い方が良いと考えるのが普通ですが、本当にそうでしょうか?

少なくとも身体の調整を行う上では、正しいとは言えません。

関節は動いていても関節を動かす神経は動いていないということになります。「気」が動かせていないのです。鍼灸は「気」を動かしてこそです。雑な動きでは「気」は動かず疲れます。指先を正しく動かしただけで、手首、肘、肩胸まで動きが良くなるのが動画を見てもらうとわかると思います。


この現象は、ゆっくり小さく動かさなければ絶対に気づかないことです。脳からの信号は一本一本の指にしか伝えられないので、同時には動かせていないということも、ゆっくり小さく、綺麗に動かしてみなければわからないことです。


DIP関節の意外な動き(中枢と末梢をつなげる訓練)


DIP関節の遊びは、お風呂の中で大きなボールを掴むような動きをしていて気付いたことです。なぜかお風呂に入っていると新しい発想が生まれます。

DIP関節は屈曲時に外旋しやすく、伸展時には内旋しやすいという遊びをもっていることに気づきました。これはDIP関節屈曲時に内旋の意識をすると自然に大きなボールを掴むような動作になることも発見しました。この手の使い方は、簡単にできそうに思いますが、かなり難しい動きです。


特に手に問題がある場合は顕著です。手に問題のある人(無症状であっても)はそもそも手を広げるということが困難です。リウマチでもヘバーデン結節でも、バネ指でも、テニス肘でも、手首の腱鞘炎でも疾患名が違うだけで、同様の変化が起こっています。つまり、この異常な動きを修正する意識を手先に送り込む練習をするだけで、関連している手首、肘肩、胸、呼吸にまで影響を与えるということです。


こういう考え方と手技が鍼灸を含む手技療法の発展に繋がると確信しています。そして、鍼灸師も折角「気」を扱っているのですから、中枢神経と末梢神経のつながりに注目した方が効果をあげられますし、もっと運動ということを突き詰める必要があります。

鍼を打ったから効果があるのではありません。どのような意識をして鍼を打ったかがとても重要なのです。「気」を扱うのが鍼灸であるはずなのに、物理療法になってしまっているのは本当に悲しいことです。

だからトリガーポイントのような外来種の方法に目を奪われるのです。「意識」と「気」の現象をもっともっと深堀りして、「動き」と「気」の関係を明確にしてこそ、「気」を扱う東洋医学と言えるのです。


 まとめ


鍼灸師にとって、関節の動きを観察することは非常に重要です。従来の常識にとらわれず、新たな視点で関節を観察することで、患者さんの症状改善に繋がる新たな発見があるはずです。

鍼灸の古典にこだわり過ぎると簡単に処理できるものですら処理できなくなってしまいまうか長引いてしまいます。短時間で確実に変化させられる手技を身につけて欲しいと思っています。


初動の動きと脳神経(動かさない運動)


ただ動かすのではなく、脳神経と動きがつながる瞬間に意識を向けるということが小さくゆっくり綺麗に動かす目的です。これが「動かさない運動法」の重要なポイントです。動かさない運動法も私が開発したもっとも画期的な方法だと思います。同じようなことを言っている人がいたら私の関係者だと思って間違いないでしょう。


思うことは運動の一部です。思わなければ運動はありえません。動かそうと思ったことは意識ですが、動かそうと思う前の段階から脳は活動しています。思うのと同時に(やや動きは遅れる)初動が起こるので、この初動の中に中枢と末端がつながる瞬間があります。これに気づけるかどうかです。

動かそうと思う0.5秒前には補足運動野は活動していることは証明されているので納得できる話だと思います。


意識はまっすぐ動いているつもりでも無意識が曲がって動かす命令をしていると、曲がったまましか動けません。曲がったまま動いていても意識は真っ直ぐ動いていると勘違いしているので、ゆっくり動かさないと動きの不正を見抜けないのです。これが無意識と意識のズレです。このズレはやがて身体の癖を作ります。その癖が痛みや症状になってあらわれるのです。

このような癖はやがて内外でも問題を起こし、内臓へも影響することが容易に想像できると思います。


無意識と「気」


殆どの動きは無意識であり、意識は数パーセントしかないのではないでしょうか。歩行時に右足を出して次に左足を出すと意識しなくても足が出せるのも無意識があってこそです。

しかし、人間は頭でっかちになり過ぎたので、無意識を無視して意識の方が勝っていると思い込んでいます。無意識を意識が認知することで、はじめて「気」が通る身体になります。気を扱う上で一番大切なことは認知です。

それこそが東洋医学でいう「気」が流れて、「水」や「血」が流れるという意味です。認知なくして気はありえません。無理やりでは気は何も動きません。つまり、刺激量や刺激時間ではないということです。どのように認知したかで意識と無意識が融合します。この意味を知っておく必要があります。



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