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物理的な力が必要な場合は、力と力がぶつかり合います。

当然、質量が大きいもの、エネルギーの強いものの方が作用が大きくなります。


関節を動かしてどこまで可動域があるのかを調べるのは、力と力のぶつかり合いになります。

力を使う診断方法というのは、かなり明確なものしか捉えることができません。

あきらかに可動域が問題になる場合などは、誰が見てもあきらかになります。


しかし、それがすべてだと考えていると説明のつかないような現象が起こっていることを無視していることになります。

そんなに単純で説明のつくことばかりではありません。


目に見えるものというのは、良くも悪くも認識されたもの見えるものしか見えません。

つまり、既知のものしか見えません。目の前にあっても見えない。

認識しているものしか目に映りません。

これを理解していないと未知のものにはお手上げです。


針がどんな形をしているのかわからないのに、針を見つけることができないのと同じです。

しかし、どんな形かわからないのに、なにか違うということを認識することができる時があります。


ボヤッとしているけど、なにかおかしい。

と感じる時です。


それを既知のものに当てはめようとしても、当てはめられません。

未知のものですから、その全容はわからないのです。


わからないことを認められないと切り捨ててしまうのはもったいない。


私がエビデンスを疑問に思うのは、わからないけど、作用があるということを切り捨てる思考になるからです。

わからないものはわからないまま認めていけばよいのです。


わからないけど、存在は認めるという姿勢の人がエビデンスと言うなら納得できます。

殆どがそうでないから疑問に思います。


統計的に優位と言いますが、それは絶対ではありません。


力を使わないで診断しようとすると、ボヤッと異常を認めます。あきらかではありません。

しかし、なにかおかしいというのはハッキリわかります。

力を使った時よりハッキリわかるのです。それを無視してはいけません。




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