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期待値

元陸上選手の為末氏の話はとても面白いと思います。

私は普段、無理なスポーツを推奨していませんが、スポーツから学べることは一杯あるなぁ~とつくづく思います。

また、現役でない限りスポーツはあくまでも遊びでなくてはなりません。それさえわかっていれば、どう取り組むべきかは自然にわかってきます。


もちろん、スポーツ選手にとっては、無理を承知でやることも必要なのだと思いますが一般の人にはそこまでのめり込む必要はありません。勘違いすると必ず怪我をします。

だから、高齢になってから行うスポーツは、頭と意識をしっかり使って自分と向き合ってこそだと思います。そうすると意外にも若い時にできなかったことができるようになったりします。


為末氏の話しの中で期待値を下げるというのがありました。

これは、講義をする時にもホントによく思うことです。若い時は、ちゃんとやらなきゃならないと思って、自分の実力のなさを過大評価して、その期待に応えようとしたりして失敗した経験もありました。


慣れだからと言われましたが、あきらかに周囲の期待と自分の期待値に解離があったように思います。それでは絶対にうまくいくはずがありません。だから失敗だったなと思います。

今は、期待値を下げるということが意識せず自然にできるようになっている気がします。


期待値を下げるというか、自分にとっては当たり前のことをするだけにしています。無理なことはしない。無理なことをする時は失敗しても、それが失敗するのは何故かを隠しておきます。

すると例え失敗しても、それをフォローすることができるので、失敗が苦にならないので自分の期待値が異常にあがることはありません。伝えたいことは、それができることではないから余裕があります。できるできないは全く無関係です。


自分の普段やっていることで、自分にとってはあまり価値がないこと(つまり当たり前のこと)を話すると、それが逆に過大に評価されたりすることに驚きます。

出し惜しみしている訳でもないし、普段やっていることが本当に価値がないと思っている訳でもありません。ただ、日々進化しているので、進化の途中に焦点を置いている自分にとっては、それらは完全に過去のものになってしまっているということです。


もちろん、それを開発した時は、かなり苦労して試行錯誤した訳ですが、できてしまえば自分にとっての興味はなくなります。半年前に面白いと思っていたことが今、面白いと感じることは殆どありませんし、数日前に面白いと感じたことも忘れてしまうこともあります。

今でも毎日が試行錯誤しているので、過去にやったやり方に興味があるはずもありません。ただ、人に教えると、過去のものだと思っていたことでも逆に自分にとって新鮮なものになることがあります。やっぱり人に教えると一番勉強になるのは自分自身だなと気づきます。

だから出し惜しみは一切しません。聞かれたら何でも答えます。ただ、答えようと思っても、実感を言葉で答えることはできないので言葉を丁寧に選びます。言葉だけで理解できるものではないのはわかっていますが、できるだけ丁寧に言葉を選んでいると自分自身が納得してしまうことすらあります。ホントに面白い現象が起こります。


期待値は、自分とまわりで大きく違います。違って当たり前だと思いますが、やっぱり自分が長年思い続けてきたこと、考え続けてきたことが一番得意なはずです。気負わず淡々と行う。これが大事です。

それを可能にするのは安定した基礎があるからだなぁ~と思っています。


常に新しいことにチャレンジし、挑戦していることを教えることで更に進化するのも実感します。きっと死ぬまで続くんだろうなと思います。身近な目標はあっても完成することはありません。だから死ぬまで続きます。


まるでサメやマグロのように止まったら死ぬ魚みたいですが、毎日の診療は、それを繰り返しています。







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