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セミナーの感想を頂きました

セミナーに出てない人は、何が書いてあるのかサッパリわからないとは思いますが、感想文を読んで頂ければ、あきらかに治療の技術だけじゃないというのはわかってもらえると思います。

合気を取り入れて、合気のデモまでしました。ミソは、未来から現在に流れる時間軸です。

時間軸を変えないで治療はできません。というか不完全になります。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

久しぶりの勉強会で嬉しく、途中でわちゃわちゃとガヤを入れてしまいました。 次からは、一つのデモが終わるまで、ジッとだまーーっていられるように努力します(きっと無理だと思いますが…)。

きっと無理ですね(笑)

さて、昨日のことを自分なりに記してみました。

文章の体は為していません。備忘録です。いえいえまとまってますよ どうしても頭で考えて言葉にすることになりますが、未来で自分なりにこねくり回して消化して、自分を発展させていくことになっておりますので、まとめてみた次第です。添削などいただければ幸いです。嫌です よろしくお願いいたします。

あらかじめ決まっている。

過去→現在 現在→未来 未来→現在

できたイメージを自然に持つ→できる。

無理矢理ではダメ。 だから力を抜く。

力を抜くと…当たり前にできる。

大腸経は見えない、物理的にもない→しかしある。

何のことかサッパリわかりませんよね。

でも、これがわからず経絡と言っている人が殆どです。

ほんとによ~いうわ~。

例えば…家のトイレのドアを開ける→できるできないを考えていない→当たり前にできる。

つまり、開けるという行動は、開ける前に終わっている。

しかし、腕を痛めた・指を痛めた→腕が上がらないから・指が曲がらないから、ドアを開けられないと未来で決める→実際開けられない。 普通はそこで終わるか、痛みを取らないと開けられるようにならないと考える。

そもそもなんで痛めた?ということを考えない。

①そもそもどうなっているの? ②なぜ痛めたの? ③つまり普段はどうなっているの??

そこの認知が無い。

①〜③を取り出して伝える、共に認知していく→それが中村先生が言っていること・鍼灸師やトレーナーが出来ること・患者さんに寄り添うこと…ではないか?? 

とっても良い表現で素敵です

例えのドアの話に戻る。

当たり前に開けられるときは、表層的には何も考えていない。 脳・神経・筋肉と思いを馳せてみると、錐体外路系活動の方が勝っているように感じる。

しかし、その「当たり前行動」に問題がある可能性が高い(上述の①〜③など)。

「当たり前行動」はあまりよく認知していない、考えていない→なぜなら当たり前に出来るから。出来ると思っているから。

とは言え、実際には腕を動かし、指を動かす。 しかし、それが当たり前行動の範疇なので、うまくできているのかどうかのジャッジをしない→仮に腕や指を痛めるような行動であったとしても本人は気づかない。 気づかないでそれを続ける→上がらなくなる・痛くなる。 あらかじめ上がらなくなる・痛くなるのを決めていたかのように。 やはり、自分こそが原因であり、結果であるということ。 自分の周りの世界は自分で作っているということ。 そのように思える。

同じことをしていても同じ結果にしかなりません。やり方(?)を変える必要がある。

説明は、現象が起こってから行うものであって、現象が起こる前に説明しても意味がありません。

やる前から既に結果はあるのです。


では患者さんや目の前の選手が、そのような状態であったらどうする??

本人に聞くのではなく、手に聞く、腕に聞く、足に聞く…つまり、相手の存在そのものに問いかける。 問いかけは、気の合う仲でなければ、信頼関係がなければ、優しくなければ、柔らかくなければ、答えが返ってこない。 そして、この場合の問いかけは、言葉ではなく、手触りで相手からの情報をキャッチするということ。 つまり、手の力が抜けていなければ、問いかけはうまくいかず、いつまで経っても情報はキャッチできない。調整技術が向上しない…ということ。経験は逆に重荷になったりすることもあるんですよね


ここまできて…では、なぜ手の力が抜けないのか?

ここに大腸経があるよと言っている人がいるのに、自分は分からないのか?

自分自身に問題があるのでは?

という疑問が生じる(生じないのであれば、もはや他人の調整などできない)。ここまで書いたこと(ほんの一部ですが)を、すべて自分に当てはめて認知から見直してみる。 当然にうまくいかない。手の力を抜く、脱力ではなく抜力

必ず概念や知識、理屈だけで捉えようとしてしまうし、無理矢理分かろう=分かりたい!としてしまうから。 いいかげん…良い加減にやらないと分からない、見えてこないということだとも思う。

普段の姿勢、普段の立ち方、普段の歩き方、普段の肩の力の入れ具合、普段の足の向きなど…それらを良い加減に捉えようとしていくということをずーっと続ける…そういうことから良い具合に力の抜けた手ができ、ようやく相手からの情報をキャッチする感じが出てくるのではないかと感じる。

その話しにつなげるはずが時間オーバーとなってしまいました。次ぎの機会に・・・


何を頑張るのか?何を継続するのか?

まさにこれらを継続する…ということに他ならないのではないか? それにはどうしたって、いわゆる「根気」は必要となる。 ごちゃごちゃ言わんとやれや!

は、まさにここにかかるのではないかと思う。


いや~とっても素敵な文章です。私が言いたい(ゴチャゴチャ言わんとはよやれ)を上手く表現してくれている文章だと思います。ホントに有り難うね。

何が書いてあるのかサッパリわからないというベテランは是非セミナーに参加してみてくださいね。ベテランほど自分のやっていることが普通だと思い込んでいる人が殆どです。

経験と知識が必要以上にあって、それが足かせになってます。


もしかすると、自分の技術をほじくり返されて、不機嫌になる人もあるかもわかりません。

でも本当の自分を見てみたい方は参加すべきなんじゃないかと思います。



見ただけでわかる。

触ってわかる。

どの方向なのかがわかる。

経絡や穴もそれに連動しているのがわかる。


最低でも、これが出来ないと経絡や穴があるとは認識できていません。

文章を書いてくれた方のデモではなく、はじめて参加して頂いた方のデモの動画です。


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