小さく、ゆっくり、綺麗で軽い運動
昨日の続きです
小さく、ゆっくり綺麗で軽い運動は、全ての運動の基本です。
強い運動を好むのは、頑張りたいからです。
頑張っている自分の存在意義を人に知らしめたいと言う潜在意識からです。
強い運動は、常に他人が対象になっています。これに気づいていないとしっぺ返しがきます。
これは意識が強くなり過ぎた時に起こる現象です。
スポーツは強く早くが基本です。
スポーツはあくまでも相手をねじ伏せて喜ぶ為のゲームです。
それは楽しみの一つなので、悪いことではありませんが、あくまでもゲームだということを知っていなくては怪我をしてしまいます。
小さくゆっくり綺麗な動きはゲームではないので、できるできないは全く関係ありません。
できなくてもゲームではないので全く問題はありません。
何キロのものを挙げなければならないというようなゲームとは全く違うのです。
だから出来なくてよいのです。
しかし、やってみると様々なことを知ることができます。そして自分自身と向き合うことができます。
小さくゆっくり綺麗な動きはやってみるとわかりますが、難しいので、ついつい誤魔化してしまう自分がいることにも気づきます。
つまり嘘をついている自分と向き合えるということです。
相手を騙すゲームであるスポーツと同じように自分自身にも嘘をついていることに気づきます。
運動なのですが完全な受身です。
運動する為には感情が必要ですが、その感情が最小限になって受身になることで認知力が高まります。
受身のまま運動をしていると強かった意識がどんどん薄れていくのがわかるようになってきます。
これは瞑想にもっとも近い運動です。
ただ座っているだけでは瞑想にはなりません。妄想が酷くなってしまうだけです。
この原理を発見した時、なるほど~だから人は無理に頑張ってしまうんだと大きく頷いてしまいました。
頑張るからできるできないにこだわってしまうんだと気づくことができました。
人との比較から開放された瞬間です。
すると、人ができないことも容認できるようになってきました。
できなくても迷っていても良い状態
迷いそのものが気づきなのだともわかったのです。
精神が限りなく平安に近づいた瞬間でした。
できない自分をそのまま受け入れる。
そんな瞬間が連続して訪れていたのだと気づきました。
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