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歩行は意識的でなく目的があります

意識的に歩いているのではありません。

なぜ歩くかと言えば目的地に到達する為です。他のことを考えていても思いは家に着きたいというような希望があるから無意識に左右の足を使って移動しているのです。


そんな思いを叶えてくれるのが歩行であって、それを可能にしているのが無意識です。

たぶん、それには誰も疑問に思わないと思いますが、無意識を使って歩いていると認識している人は少ないでしょう。


人間は、意識的に行動していると考えているかもわかりませんが殆どは無意識です。

右に向かって歩いていて、急に左に曲がろうと思った時、そのタイミングはいつでも良いという条件で実験すると曲がるコンマ何秒か前には、脳は活動して左に曲がることを決めているそうです。


それじゃ~意識的に行動しているというのは嘘じゃないか・・・。

と思う訳です。


それでは無意識だけが重要かと言えば無意識だけが重要だったら、きっとずっと寝ていることになるでしょう。

植物人間です。

意識は無意識に補完する形で存在し、意識を使ったことと無意識が命令したことは、ほぼ同時だと言えるかもわかりません。

そもそも意識と無意識を分けた時点が問題なのかもわかりません。


今、右手をあげようとしたのも無意識との共同作業なんじゃないかと思います。

これはホントに面白いです。

だから、頭でばかり考えていると、意識が強くなりすぎて意識的な世界のみになってしまうので眠くなって寝てしまうのだと思います。もし、それができないと精神がやられます。精神疾患の特長的な症状に不眠があるのはそのためでしょう。


養老先生は、都会は意識的なものを故意に置いていると言っていましたが本当にそう思います。

そういう時は、田舎に行って無意識を感じて欲しいなと思います。そういう意味ではコロナになって良かったことは自然に出たいと思う人が増えてキャンプが流行りになったというのは面白い現象だと思っています。


しかし、今のキャンプが自然かというと疑問は大きいです。車で何も持たずキャンプ地に行って、キャンプ道具を借りて、整備されたコテージで寝泊まりする。これはキャンプとは言い難いですが、それでも自然の中に出たいと思う気持ちは大事です。


もっともっと意識的な世界から飛び出して、無意識の世界に行った方がいい。







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