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運動は意図的?

運動は意図的で思い通りでしょうか?


もし、そう思って運動している人があれば今すぐ止めた方が無難です。

運動をしようと思ったのは自分ですが、自分が思った通りの運動ができている訳ではありません。もちろん、そう信じ込むことはできますが、これほど不確かなものはありません。目を閉じて真っ直ぐ歩いてみれば答えはすぐにわかります。


思った通りの運動するためには、修正しながら運動させる必要があります。つまり出力ではなく入力しながら出力することです。一般的には、なんぽ歩いたとか、どれぐらいのスピードで運動したかを問題にします。これは出力です。

しかし、出力の前に入力がなければなりません。

今、手がどの位置にあるのかわかっていなければ、どう動かして良いかわからないのです。


運動の前に入力が常に働いている訳です。それに注意を向ける必要があります。

このことを意識せず、未だに出力の話ししかしていないのは本当に残念です。最終的には出力が多ければ力が出ますが、出力に拘ると必ず怪我をします。だから、その出力に耐えられるだけの素材が必要になります。つまり入力が先天的に上手い必要がある訳です。それを運動神経が良いという言葉に置きかわっているのです。そんな素材のある人が出力に耐えられる訳です。一般的な人にはない素材です。そんな素材の人しか運動できないかと言われたら決してそうではありません。入力は簡単に鍛えることができます。100歳の人でも意識的にそれを鍛えることはできます。


しかし、出力が入力を超えた時に破壊が起こります。

だから運動をすれば運動不足が解消するという訳ではないと言っているのです。

これを理解しないで運動は語れない訳です。


出力があれば入力がある。

当たり前の話しなのですが、それに気づかないから歩けば健康になるという誤解を生む訳です。

それほど、まだまだ未開の分野なんだろうと思います。


そして、それらを統括するのは、その人の思いであり意識です。ある意味それは信念にも近いのかもわかりません。

どうなっているかがわからない(入力不十分)のにどうして良いかわからない(出力)。

だから、無茶苦茶な運動になるから怪我をする訳です。その無茶苦茶な運動のことを癖と言います。


それを鍛えることは十分できます。

必要最低限の理解で日常生活は十分になるし、それを研ぎ澄ませばスポーツで秀でることも不可能とは思えません。

それほど、入力と出力は重要なのです。






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